名古屋の伝説の書店員・古田一晴さん死去 経歴や死因について解説

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名古屋の伝説の書店員・古田一晴さん死去 経歴や子音について解説します。愛知県であれば彼を知っている方はとても多いでしょう。「ちくさ正文館書店」の元店長として知られ、地元文化に大きな影響を与えた人物です。

古田一晴さんが死去

2024年10月20日に突然、訃報が入りました。古田一晴さんが死去したと言うのです。名古屋市千種区にあった「ちくさ正文館書店」の元店長として知られ、地元文化に大きな影響を与えた人物です。

古田さんが亡くなってしまった。

名古屋の本好き、カルチャーファンにとっては悲しすぎる訃報が届きました。ちくさ正文館書店(通称「ちくさ正文館」)・元店長の古田一晴(かずはる)さんが、10月10日、脳腫瘍のため72歳で逝去されたのです。古田さんが長く店長を務めたちくさ正文館が惜しまれつつ閉店したのが2023年7月末。それから1年余りで、店の象徴だった古田さんもまた帰らぬ人となってしまいました。

一書店員が亡くなった、という普通ならごく内輪だけで伝えられるはずのこの知らせは、翌日の中日新聞朝刊に早々に掲載され、多くのネットニュースでも報じられました。これを受けて、SNSでもその死を悼む声が数多く寄せられました。そして、筆者の過去の古田さん関連の記事も、あらためてたくさんの人に読まれています。

独自の選書で知的好奇心を刺激した「古田棚」

古田さんがその名を知らしめていたのは、何といっても書店員としての目利きの力でした。文学、アートなど人文系の多彩な分野に精通し、独自の選書により構成された売り場は「古田棚」と呼ばれ、出版業界では一目も二目も置かれていました。店長を務めたちくさ正文館は、一見ごく普通の町の本屋さんでしたが、よく見ると文芸作品は作者の五十音順に並べられておらず、また音楽、映画、演劇などのラインナップが有機的に関連し合い、知的好奇心を刺激してくれる不思議な妖力を放っていました。目当ての本を買いに行く場ではなく、目的もなく棚を眺めていると次々と読みたい本が見つかる。そんな本屋であり、その空間をつくり上げていたのが古田さんだったのです。

古田さんはまた映像クリエイターという顔も持っていました。学生時代から前衛的作品を手がけ、表現者としての活動をずっと続けていました。本屋の店長という誰もが気軽に会える立場を最大限に活かしながら、異分野の人材を結びつける媒介の機能を担ってきたのも、名古屋のカルチャーシーンの中で古田さんが果たしてきた大きな役割でした。と同時に多種多様な人たちに慕われ、愛されてきた理由でもありました。

引用:YAHOO

どんな人

古田一晴(ふるた かずはる)は、名古屋市千種区にあった「ちくさ正文館書店」の元店長として知られ、地元文化に大きな影響を与えた人物です。古田さんは長年にわたり同書店を運営し、「古田棚」と呼ばれる独自の本の選書スタイルで、多くの読者の支持を集めました。書店は特に人文書や芸術書の品揃えに力を入れ、地元の文化活動を支える存在として名を馳せていました。

経歴について

1952年名古屋市生まれ。1974年ちくさ正文館書店本店にアルバイト入社。1978年愛知大学卒業後、同年9月正式入社。古田さんは、地域の芸術や文学イベントを企画し、講演会やブックフェアを通じて書店を地域の文化拠点に育て上げました。インタビュー集に『名古屋とちくさ正文館』(論創社)がある。

ちくさ正文館書店は閉店

ちくさ正文館書店は、全国チェーン化が進む書店業界の中で、個性ある書店の魅力を保ち続けましたが、2023年に閉店しました。その後、古田さんは健康問題に直面し、2024年10月に72歳で亡くなりました。

死因は?

10日、脳腫瘍のため死去、72歳。通夜は11日午後6時、葬儀・告別式は12日午前11時から名古屋市千種区千種2の19の1、いちやなぎ中央斎場で行われます。

家族はいるの?

長女、赤羽(あかばね)このみさんがいます。

古田 一晴さん(ふるた・かずはる=ちくさ正文館書店本店の元店長)10日、脳腫瘍のため死去、72歳。名古屋市出身。通夜は11日午後6時、葬儀・告別式は12日午前11時から名古屋市千種区千種2の19の1、いちやなぎ中央斎場で。喪主は長女赤羽(あかばね)このみさん。

 61年に創業し、名古屋を代表する書店として親しまれた「ちくさ正文館書店」に78年、入社。文学や哲学、演劇、音楽などあらゆるジャンルに通じたカリスマ書店員として知られた。昨年閉店した本店の店長を長く務め、地域の文化人の交流を促した。

引用:中日

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